皆さん、こんにちは。「かんどう和尚のはじめての仏教」へようこそ。
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これまで、仏教が誕生する以前のインドの歴史についてお話ししてきましたが、前回でおおよそ一区切りとなりました。今回から数回にわたって、仏教誕生前のインド思想についてご紹介していきたいと思います。これが終われば、いよいよ本格的に仏教の世界に入っていきますので、もう少しお付き合いください。
現代インドの主流な思想体系はヒンドゥー教ですが、その起源となるのが、今からおよそ3500年前、中央アジアから南下してインドに侵入してきたアーリヤ人たちが編纂したとされる「ヴェーダ」と呼ばれる聖典です。
ヴェーダには4つの種類があり、最も古い『リグ・ヴェーダ』は紀元前1200年頃に成立したと推定されています。これは以前にも触れましたが、当時のアーリヤ人の宗教観はきわめて素朴で、自然現象を神格化し、それらの神々を崇拝していました。
具体的には、神々を儀礼の場に呼び寄せ、賛歌と供物によってもてなすという形式です。そこで神の力を借りるのですが、その姿勢は「どうかお願いします」という懇願ではありません。「これだけのものを捧げたのだから、汝(なんじ)は○○すべし」と、むしろ命令のような形で行われていたのです。
後のヒンドゥー教では「バクティ」と呼ばれる、神への絶対的な信仰が説かれるようになりますが、このヴェーダの時代にはそうした考えは見られませんでした。
ヴェーダとは、神々を称える詩や賛歌がまとめられたものであり、これは専門的な教育を受けなければ作ることができないものでした。イメージとしては「漢詩」に近いかもしれません。
たとえば、禅宗では葬儀の際に漢詩を唱えることがあります。大声で「喝!」と叫ぶ場面を見聞きしたことがある方もいらっしゃると思いますが、その前には、故人を偲んで作られた漢詩が詠まれているのです。
このため、禅宗の僧侶は一通り漢詩の作り方を学びますが、これが非常に難しい。よく知られている「七言絶句」であれば、7字で1句を構成し、これを起・承・転・結の4句で組み立てます。
基本ルールとして、各句の末字は韻を揃えなければなりません。ただし、「転句」だけは例外とされます。また、どの字を使ってもよいというわけではなく、漢字は音の高低により「平」と「仄」に分けられ、さらに細分化すると「四声」と呼ばれる4種になります。
この「平仄」の配置に従わなければならず、使いたい語があっても音律が合わなければ使えません。こうした厳密なルールの中で詩作がなされるのです。
ヴェーダに記される詩もこれと同様に、高度な訓練を受けて習得されるべきものであり、その教育は親から子へと代々受け継がれていきました。そして、そうして作られた詩や言葉には、神々すら動かす力があると信じられていたのです。
日本にも「言霊(ことだま)」という考え方がありますよね。言葉には霊力が宿り、発した言葉が現実を動かすという信仰です。神社で唱えられる祝詞などはその典型です。
ただし、日本の言霊は「神の力をお借りする」という立場ですが、ヴェーダにおける言葉の力は、神々をも従わせるものとして信じられていました。このようなヴェーダを中心とした信仰体系を、後に「バラモン教」と呼びます。
ヴェーダ時代の価値観では、願望の成就や現世での幸福の実現が人生の目的とされていました。それに対応して、男性は家長として社会に参加し、義務を果たし、家庭を繁栄させることが推奨されていたのです。
しかし、時代が下るにつれて、人生の目的としてまったく異なる価値観が登場してきます。
次回は、その「もうひとつの目的」についてお話ししたいと思います。
※この記事は以下の音声配信をもとにテキスト化しています。音声配信では、記事にはないアフタートークもありますので、ぜひお聴きください。

