【仏教入門6-6】ブッダ最後の言葉とは何だったのか|最期の弟子・八正道・遺言を完全解説

涅槃

自分が亡くなったあと、家族や周囲の人たちがどうなるのか——考えたことはありますか?

人はそれぞれ、多くの人間関係の「ハブ」として機能しています。
ときには人間関係のバランスを保つ重しのような役割を果たしていることもあります。

だからこそ、一人の存在が失われることで、残された人々の関係がぎくしゃくしてしまうこともあります。

今回は、ブッダがご入滅を前にして、遺された弟子たちのためにどのような手を打たれたのかを見ていきたいと思います。


前回までの振り返り:刻々と近づくブッダの最期

前回は、

  • 異性との接し方についての教え
  • ブッダの遺体・遺骨供養について
  • 泣いているアーナンダ尊者を慰める場面

までをお話ししました。

この日のうちに、ブッダは亡くなられます。
刻々と最期の時が近づいていました。


クシナーラーでの最期 —— 弟子の願いとブッダの答え

ブッダが滞在していたクシナーラー(クシナガラ)は、故郷へ向かう途中の町でした。
もしかすると、故郷を目指していたのではないかとも言われています。

しかし当時、この町はそれほど大きな都市ではありませんでした。

そのためアーナンダ尊者はこう進言します。

「こんな田舎で亡くならないでください。
もっと大きな都市なら、王や富豪が盛大に供養してくれるでしょう。」

弟子としては、偉大な師を盛大に送りたいという思いがあったのでしょう。

しかしブッダは、

「そのようなことを言ってはならない。
この地もかつて栄えた由緒ある場所である。」

と諭し、
「近くの信者を集めなさい。最期のお別れをします。」
と指示されました。


最後の弟子スバッダとの出会い

その頃、スバッダというバラモン(司祭階級の人物)がクシナーラーに滞在していました。
彼はブッダの死期が近いと知り、疑問を解消したいと面会を求めます。

しかしブッダは衰弱しており、アーナンダ尊者は面会を断ります。

それでも諦めないスバッダ。
そのやり取りを聞いたブッダは、

「やめなさい。彼は私を困らせようとしているのではない。
純粋に疑問を解消したいだけなのだ。」

と言って面会を許可します。

ここには、最後の瞬間まで一人でも多くの苦しみを取り除こうとする、ブッダの利他の姿勢が表れています。


八正道こそ悟りへの道

スバッダは次のように質問しました。

「多くの宗教家が自分こそ悟っていると言っています。
彼らは本当に悟っているのでしょうか?」

これに対しブッダは、

八正道を実践する者こそが悟りに至る

と説かれます。

八正道とは、悟りへ至るための具体的な実践の道筋です。
この教えを聞いたスバッダは弟子入りを願い出て、ブッダはそれを認めます。

こうしてスバッダは、ブッダ最後の直弟子となりました。


最後の遺言 —— 僧団を守るための具体的な指示

やり取りを終えたブッダは、アーナンダ尊者に遺言を託します。

法と律を師とせよ

まず、自分が亡くなった後は

  • 法(教え)
  • 律(僧侶の規律)

を師とするよう指示しました。

個人ではなく、教えと制度を中心に据えることで、組織の混乱を防ごうとしたのです。


呼称の変更と組織の秩序

それまで僧侶同士は「友よ」と呼び合っていましたが、

  • 年長者には「尊者よ」
  • 年下には名前や「友よ」

と呼び分けるよう指示します。

これは、自分という存在がいなくなることで起こる権力バランスの崩壊を予見した措置だったのでしょう。

家族でも、親が亡くなった途端に兄弟関係が崩れることがあります。
誰が中心なのかが曖昧になるからです。

ブッダはその混乱を未然に防ごうとしました。


些細な戒律は廃止してもよい

次に、律の中の「些細な条項」は廃止してもよいと述べます。
しかし、この「些細」が何を指すのかが後に大きな議論の火種となります。


問題児チャンナへの「梵罰」

さらに、古参の僧チャンナに「梵罰」を与えるよう指示します。

梵罰とは、

  • 話しかけられても答えない
  • 指導もしない

つまり、完全に無視するという措置でした。

指導も暴力も使えない中で、僧団の秩序を守るための苦肉の策だったのでしょう。

結果的に、この措置はチャンナに大きな影響を与え、彼は改心します。


ブッダ最期の言葉

すべての指示を終えた後、ブッダは弟子たちにこう語りました。

「いかなるものも移ろいゆく。
怠ることなく努めなさい。」

これが最期の言葉でした。

その後、ブッダは瞑想に入り、そのままご入滅されます。


まとめ:遺された人々を思う智慧

今回の場面で印象的なのは、
ブッダが「自分がいなくなった後」を徹底的に見据えていたことです。

自分という存在が僧団の重しであることを理解し、
その重しがなくなったときに起こる問題を予測して、先回りして対策を打っていた。

仏教が2500年後の今日まで続いている背景には、
こうした冷静なリスクヘッジも大きく関わっているのかもしれません。


次回予告

次回からはシリーズ「仏滅後の仏教」として、
ブッダ亡き後の弟子たちの姿と、仏教がどのように展開していったのかをお届けします。

※この記事は、以下の音声コンテンツをテキスト化したものになります。