皆さん、こんにちは。
前回から、ブッダが晩年どのように過ごされたのかを、『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』に基づいてお話ししています。
前回は、「ヴァッジ」という国を通して語られたブッダのコミュニティ論をご紹介しました。今回はその続きです。
マガダ国の大臣との会談を終えたブッダは、ナーランダーなどを経由してパータリガーマという土地に到着しました。
この地は当時まだ小さな村でしたが、のちに発展し、インド初の統一王朝であるマウリヤ朝の首都・パータリプトラとなります。
マウリヤ朝の三代目の王は、熱烈な仏教徒として知られるアショーカ王です。彼は仏教の転換点に立った人物であり、いずれ詳しくお話ししたいと思います。現在のインド・パトナにあたります。
このパータリガーマにおいて、ブッダは信者たちに**「戒(かい)」**について説かれました。
戒とは、仏教徒が守ることを勧められている**五つのルール(五戒)**のことです。
- 生き物を殺さないこと
- 盗みをしないこと
- みだらな性行為をしないこと
- うそをつかないこと
- 酒を飲まないこと
一見、当たり前のように見えるかもしれません。
しかし、人がトラブルに巻き込まれるときというのは、たいていこの五つのうちのどれかに触れてしまっているものです。
これは、私が子どものころに警察官だった父からよく言われたことですが——
「夜の街に出かけるな」と。
夜に出歩けば、それだけ危険な目に遭う確率が高くなります。危険な場所に自ら足を運んでしまえば、どれほど身を守ろうとしても手遅れです。
つまり、「危険に近づかないこと」が最大の防御になるということです。
戒も同じ考え方です。
善くないことから心身を遠ざけることで、自分を守る。
戒とは、**自分の心と身体を悪から守ってくれる“お守り”**のようなものなのです。
ブッダは、戒を守らない者には**五つの危険(リスク)**があると説かれました。順番に見ていきましょう。
① 財産を失う
戒を破る行為はトラブルを招きやすく、結果として財産を失う可能性が高くなります。
② 悪い評判が立つ
不誠実な行動は、周囲からの信頼を損ない、悪評を招きます。
③ 立派な人々の前で自信を失う
戒を守らない人は、尊敬される人々の集まりにおいて、自信を失い、引け目を感じてしまうものです。
④ 臨終の際に心が乱れる
戒を守るかどうかは、来世の境遇に影響すると信じられていました。
そのため、戒を守らずに生きた人は、死の間際に来世への不安におびえ、心が錯乱してしまうと説かれます。
ここから派生して、インドでは「臨終時の心のあり方が来世を決める」と考えられるようになりました。
この思想がもとになり、臨終の際に僧侶が説法をして心を落ち着かせる**枕経(まくらぎょう)**の習慣が生まれたのです。
現代では病院で亡くなる方が多いため、亡くなった直後に枕経を行うのが一般的ですが、死の定義や区切り方によっては、いまだ「生きている」とみなせる瞬間に読経されているともいえるでしょう。
⑤ 死後、地獄に堕ちる
これは④とつながる考えです。戒を守らずに生きた人は、死後に悪い世界へと導かれると信じられていました。
一方で、戒を守る者には次のような良い結果がもたらされると説かれます。
- 財産を得る
- 善い評判が立つ
- どんな場でも自信に満ちる
- 死の間際も穏やかでいられる
- 死後は天に生まれ変わる
まさに良いことづくめです。実際の人生においても、これらに近い状態になるといえるでしょう。
最後に、よく混同される「戒」と「律」の違いについて触れておきます。
一般に「戒律(かいりつ)」とひとまとめで言われますが、仏教では本来、次のように区別されます。
- 戒(シーラ):習慣・行動規範の意味を含む。出家者でなくても守ることが推奨される。努力目標のようなもので、破っても罰はない。
- 律(ヴィナヤ):出家者(サンガの一員)のための行動規則。守らなければ罰則がある。
今回のパータリガーマでブッダが説かれたのは、在家信者への教えです。したがって、ここで語られているのは「律」ではなく**「戒」**についてとなります。
次回予告
次回は、
「どのような心の状態であれば人は地獄に堕ちるのか、または天に生まれ変わるのか」
——その判別方法をブッダがどのように説かれたのかをお話しします。
どうぞお楽しみに。
※この記事は、以下の音声配信をテキスト化したものになります。

