前回は、仏典編纂のための会議である「結集」についてお話ししました。
その際、すでにマハーカッサパとアーナンダ尊者の間には緊張関係が見られ、弟子たちが決して一枚岩ではないことが明らかになっていました。
そして、時代が下るにつれて、その不和はついに教団の分裂という形で表面化します。
スリランカなど南方仏教の伝承では、その経緯は次のように伝えられています。
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ブッダが亡くなってからおよそ100年後、
十項目の戒律をめぐる論争が起こりました。
その結果、意見が認められなかった僧侶たちが既存のグループから独立し、新しい集団を形成したといわれています。
これによって仏教教団は二つに分裂しました。
この出来事は根本分裂と呼ばれています。
簡単に言えば、
- 保守派(戒律を厳格に守る)
- 改革派(現実に合わせて柔軟に解釈する)
という対立です。
この出来事の舞台は、インド東部の都市ヴェーサーリーです。
ここはブッダが何度も訪れた場所として知られる、仏教にとって重要な地域でした。
あるとき、他の土地から来た僧侶ヤサがこの町を訪れます。
そこで彼は驚くべき光景を目にします。
ヴェーサーリーの僧侶たちが信者にこう頼んでいたのです。
「お金をお布施してください。それで必要なものを賄います」
しかし当時の仏教では、僧侶が金銭を受け取ることは禁止されていました。
ヤサは信者たちに言いました。
「そんなことをしてはいけません。僧侶はお金を受け取ってはならないのです。」
しかし信者たちは聞き入れず、僧侶たちにお金を布施しました。
翌日、ヴェーサーリーの僧侶たちは受け取ったお金を分配し、ヤサにも分け前を与えようとしました。
しかしヤサはこれを拒否します。
これに怒った僧侶たちは言いました。
「ヤサの行為は、信者の好意を無下にするものだ。
下意羯磨(げいこんま)を与えよう。」
ここで登場する羯磨(こんま)とは、僧団内で問題が起きた際に行われる議決手続きのことです。
下意羯磨は比較的軽い処分で、
ヤサは信者たちに謝罪することになりました。
普通なら、ここで話は収まるはずでした。
しかし、ヤサは謝罪せず、逆にこう主張しました。
「間違っているのは自分ではなく、ヴェーサーリーの僧侶たちだ」
この訴えを聞いた信者たちは次第にヤサを支持するようになります。
「ヤサの言うことの方が正しいのではないか」
こうして対立は決定的となり、大規模な会議が開かれることになりました。
参加者は700人。
しかし議論は代表者8人による委員会で決着をつけることになりました。
そこで、両陣営は、自分たちに有利な人物を代表にしようと画策します。
ヤサは著名な僧侶レーヴァタを味方に引き入れます。
一方、ヴェーサーリーの僧侶たちもレーヴァタに多くの贈り物を持って会いに行きました。
しかしレーヴァタはすでにヤサ側につくことを決めており、彼らを拒否します。
さらにレーヴァタは、120歳の長老サッバカーミーの支持まで取り付けました。
こうして代表者は次のように決まりました。
ヴァッジプッタカ側
- サッバカーミー
- サールハ
- クッジャソービタ
- ヴァーサバガーミカ
ヤサ側
- レーヴァタ
- サンブータ
- ヤサ
- スマナ
しかし実際には、サッバカーミーとサールハもヤサ寄りでした。
つまり、
実質6対2
という圧倒的に不公平な構図だったのです。
争点となったのは次の十項目です。
- 塩を蓄えること
- 正午以降に食事をすること
- 食後に村落で再び食事をすること
- 同じ区域で複数の布薩(反省会)を行うこと
- 羯磨を一部の僧侶だけで行うこと
- 和尚・阿闍梨の習慣に従うこと
- 発酵したミルクを飲むこと
- 酒になる途中の飲み物を飲むこと
- 縁なしの座布団を使うこと
- 金銭を受け取ること
特に大きな争点となったのが、金銭の受け取りでした。
律蔵には「金銀を受けてはならない」とありますが、
これを
- 貴金属のことなのか
- 金銭全般なのか
という解釈で意見が分かれたのです。
理想と現実の衝突
この問題の背景には、仏教の広がりと時代の変化がありました。
教団が成長し、地域が広がるにつれて、
従来の戒律では対応できない状況が出てきたのです。
たとえば南方仏教では現在でも、
- 僧侶はお金に触らない
- 信者が代わりに管理する
という仕組みがあります。
しかし実際には、僧侶が直接お金を扱った方が便利な場面も多いでしょう。
つまり、この対立は
理想(戒律)と現実(生活)
の衝突でもあったのです。
委員会の司会はレーヴァタが務め、
最終判断は長老サッバカーミーが下しました。
結果はどうなったでしょうか。
十項目すべてが違法と認定されたのです。
つまり、ヤサ側の主張が正統と認められました。
しかしこの決定に従わない僧侶たちもいました。
彼らは別の教団を形成します。
こうして一つだった仏教教団は二つに分裂したと、スリランカの歴史書『島史』に伝えられています。
ここまで聞くと、
「なるほど、こうして仏教は分裂したのか」
と思われるかもしれません。
しかし実は、北方仏教にはまったく違う分裂の物語が伝えられているのです。
では、その伝承とはどのようなものなのでしょうか。
そのお話は、次回ご紹介したいと思います。
※この記事は、以下の音声コンテンツをテキスト化したものになります。
