これまで、仏教サンガがどのように形成されていったのかをお話ししてきました。今回でこのシリーズは最後となります。
前回は、ブッダがビンビサーラ王と再会し、竹林精舎を寄進された場面、そして王とその息子の確執から生じた事件について触れました。今回は、その続きをご紹介します。
ブッダがラージャガハで竹林精舎を寄進されたころ、最初の弟子の一人であるアッサジ尊者が同じくラージャガハで托鉢をしていました。
その姿を見かけたのが、サンジャヤという宗教家の弟子であったウパティッサという青年です。アッサジは地面に目を向け、虫などの小さな生き物を踏み殺さないよう注意深く歩んでいました。その折り目正しい姿に心を打たれたウパティッサは、
「この人は阿羅漢なのではないか。この人の師匠は誰なのだろう。どんな教えを説かれているのだろう」
と思いました。しかし、托鉢の最中に声をかけるのは失礼だと考え直し、後を追ってタイミングを見計らうことにしました。
この姿勢は大切なことを教えてくれます。人に教えを求めるとき、自分の都合だけでなく、相手の状況を考え、気持ちよく応じてもらえる環境を整えることが大事なのです。
やがてウパティッサはアッサジに師匠について尋ね、ブッダの弟子であることを知ります。そして教えを求めたところ、アッサジは出家して日が浅いことを理由に躊躇しつつも、次の偈を伝えました。
「諸々の事物は原因より生じ、如来はその原因を説かれた。また、その止滅についても説かれた。」
これは「縁起」、そして「四聖諦」の核心を示す言葉です。苦しみには原因があり、それは渇愛や煩悩であり、修行によって滅することができる――その真理を聞いたウパティッサは、悟りの最初の段階に入ったといわれます。
ウパティッサは仏教徒として出家し、以後「サーリプッタ(舎利弗)」と呼ばれるようになりました。「プッタ」は息子、「サーリー」は母の名で、「サーリーの息子」という意味です。仏教徒になったことで名が改まる点は、戒名の先駆けのようにも見えます。
サーリプッタには、幼いころからの親友モッガラーナ(目連)がいました。二人はともにブッダの弟子となり、やがて「二大弟子」と称される存在となります。
一方、二人の出家により師を失ったサンジャヤは、悲嘆のあまり血を吐いて倒れたと伝えられています。これはインド古典文学によく見られる表現です。
サーリプッタは、ブッダから後継者と見なされるほどの傑出した弟子でした。しばしばブッダに代わって説法を行いましたが、ブッダより先に亡くなり、その死はブッダを大いに悲しませたと伝わります。
彼の人柄は非常に温厚で、托鉢の際には精舎を掃除し、整頓し、病人を励まし必要なものを用意しました。遊行の旅では、高齢者や病人に薬を塗ってあげるなど、身分にこだわらない姿勢で接しました。そのため夜遅く精舎に戻って座る場所を得られないこともあり、ブッダは出家順に座席を決める制度を設けたといいます。
また、アーナンダ尊者と親しく、良きものを得ると分かち合ったとも伝えられています。
一方のモッガラーナ尊者は、典型的なインド宗教家らしく、超能力を自在に使った人物とされています。仏典でもそのように描かれています。
ただし最期は悲劇的で、他宗教からの恨みを買い、撲殺されたと伝わります。彼はまた、『盂蘭盆経』の主人公としても知られ、お盆の由来に深く関わっています。
このようにサーリプッタ、モッガラーナという得難い弟子を得て、仏教サンガの骨格が固まっていきました。
ブッダが組織形成に力を注いだ背景には、こうした言葉があります。
「善い友に囲まれることは、修行のすべてに等しい。」
人は環境に大きく左右されます。だからこそブッダは、良き仲間との共同体=サンガを大切にし、その分裂を企てたデーヴァダッタを厳しく戒めました。
今回の物語からも、私たちは「善い環境を築くことの大切さ」を学ぶことができます。
次のシリーズでは、ブッダが晩年をどのように過ごし、老いと死をどのように迎えられたのか――その姿に迫っていきたいと思います。
※この記事は、ポッドキャスト番組『かんどう和尚のはじめての仏教』をテキスト化したものになります。ご視聴は下記のプレイヤーよりどうぞ。

