【仏教入門6-5】ブッダの遺骨供養とストゥーパの起源|出家者は葬儀に関わるべきでないのか?

アーナンダ 質問

ブッダの遺骨供養をめぐる教え

女性に関する質問がひと区切りつくと、アーナンダ尊者は次に、非常に繊細な問いを投げかけます。

「ブッダの遺体はどうすればよいのでしょうか?」

これに対してブッダはこう答えました。

「あなた方出家者は遺骨の供養には関わらず、修行に専念しなさい。供養は在家信者が行うでしょう。」

この言葉をめぐっては古くから議論があります。
中には「ブッダは出家者に葬儀を禁じた」と解釈する人もいますが、それは正確ではありません。

ここで語られているのは葬儀そのものではなく、「サリーラ・プージャー」、すなわち遺骨供養のことです。

聖者の遺骨を拝むことは大きな功徳があると考えられていました。
だからこそ、その功徳の機会を在家信者に与え、出家者は涅槃に向けた修行に専念しなさいという意味なのです。


転輪王と同じ遺体の処置とストゥーパ

さらにアーナンダ尊者は、遺体の具体的な処置について尋ねます。

ブッダは、理想の王である「転輪王」と同じ方法で扱うよう指示しました。
転輪王とは、古代インドにおける理想的な王の姿です。ブッダは母胎にいる時、ブッダか転輪王のどちらかになると予言された存在でもありました。

転輪王の遺体は、何重にも布で包んで火葬し、遺骨を埋めて塔を建てます。
この塔が「ストゥーパ」です。

日本の五重塔はストゥーパの系譜にあり、「卒塔婆」という言葉もストゥーパの音写です。
ストゥーパを礼拝することは、ブッダそのものを礼拝することに等しいと考えられ、大きな功徳があるとされました。


アーナンダ尊者の涙とブッダの言葉

一連の質問が終わり、少し休憩の時間が訪れます。
アーナンダ尊者は、いよいよブッダが亡くなられることを実感し、悲しみに耐えられなくなります。

「私はまだ学ぶ身なのに、私を可愛がってくださったブッダが亡くなってしまわれる……」

そう言って、扉にもたれて一人で泣いていました。

ブッダはその姿が見えず、周囲に尋ねて事情を知ります。そしてアーナンダ尊者を呼び寄せ、こう語りかけます。

「悲しむことはありません。愛する者との別れは必然だと説いてきたではありませんか。
あなたは慈しみある行いと言葉と心で私に仕えてくれました。
あなたは大きな功徳を積み、速やかに悟りに至るでしょう。」

さらにブッダは周囲の弟子たちに向かって、アーナンダ尊者の徳を称えます。

  • 最上の弟子であること
  • 賢者であり知者であること
  • 来客を適切に導き、僧団を支えたこと
  • 彼に会うだけで人の心が満たされること

アーナンダ尊者の人柄の素晴らしさが、よく伝わる場面です。


次回予告

次回は、臨終間際のブッダのもとに出家を希望する人物が現れます。
その人物に対して、ブッダがどのように対応されたのかをお話ししたいと思います。

※この記事は、以下の音声コンテンツをテキスト化したものになります。

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