【仏教入門6-5】心が乱れるときどうする?ブッダが説いた「欲望を遠ざける」という実践智慧

アーナンダ尊者

あなたは、自身の心をかき乱すものに対して、どのように対応していますか?
現代では、SNSやメディアからの過剰な情報など、私たちの心を揺さぶるものが数多く存在します。そうしたものにどのように向き合っていくのかは、非常に重要なテーマです。

この問題に対して、ブッダは明確な答えを示されています。
今回は、その教えに触れていきたいと思います。


前回の振り返り:供養観の転換と四つの聖地

前回は、ブッダが供養の意味を大きく転換して説かれた場面を取り上げました。
私たち自身の生き方そのものが供養となる——この考え方は、従来の供養観からすると非常に斬新でしたね。

また、四つの聖地についても触れましたが、先日その一つであるブッダガヤにゆかりの深いお坊さんをゲストにお招きし、収録を行いました。
ブッダガヤを訪れる仏教徒の実情など、見識が広がる貴重なお話を伺うことができましたので、ぜひ楽しみにしていただければと思います。


アーナンダ尊者の問い:「女性とどう接すべきか」

今回も引き続き、アーナンダ尊者がブッダ亡き後の仏教を見据え、さまざまな質問を投げかけていきます。

その一つが次の問いでした。

「女性に対して、どのように接すればよろしいのでしょうか?」

当時の仏教では、出家者が異性に触れたり、二人きりで同じ空間にいたりすることが禁じられていました。現代でも南方仏教の一部では同様の戒律が守られています。
異性への感情が修行の妨げになると考えられていたからです。

これに対してブッダは、まずこう答えました。

「見るな。」

非常に端的な答えです。

しかしアーナンダ尊者はさらに問いかけます。

「見てしまったらどうしたらよいのでしょうか?」

托鉢の場面など、女性と出会う状況は避けられません。

ブッダは答えます。

「話しかけるな。」

さらにアーナンダ尊者は尋ねます。

「話しかけてしまったら?」

この場合、ブッダは次のように教えました。

  • 母親の年代の人には母と思って接しなさい
  • 姉妹の年代の人には姉妹と思って接しなさい

このように心を整えれば、邪な思いは起こらないと説かれました。
もちろん、女性の出家者も男性に対して同様に接することになります。


欲望を遠ざけるという実践

ここでの教えは、単に異性関係の話にとどまりません。
ブッダが示されたのは、「自分の欲求が高まる対象から距離を取る」という実践です。

私たちはつい、心が乱れてからそれを鎮めようとしがちです。しかし、欲望が渦巻いている最中に心を静めるのは非常に難しいものです。

だからこそ、その前段階でできることがあるなら、まずそれを行うべきだと説かれます。

例えば、

  • 物欲が強くて悩んでいる人は、あえて繁華街に行かない
  • 刺激の強い情報を避けるためにテレビやSNSを控える

このように、欲望の対象を事前に遠ざけ、遮断していくことが大切なのです。
これは日常のさまざまな場面に応用できる実践でしょう。


ブッダの遺骨供養をめぐる教え

女性に関する質問がひと区切りつくと、アーナンダ尊者は次に、非常に繊細な問いを投げかけます。

「ブッダの遺体はどうすればよいのでしょうか?」

これに対してブッダはこう答えました。

「あなた方出家者は遺骨の供養には関わらず、修行に専念しなさい。供養は在家信者が行うでしょう。」

この言葉をめぐっては古くから議論があります。
中には「ブッダは出家者に葬儀を禁じた」と解釈する人もいますが、それは正確ではありません。

ここで語られているのは葬儀そのものではなく、「サリーラ・プージャー」、すなわち遺骨供養のことです。

聖者の遺骨を拝むことは大きな功徳があると考えられていました。
だからこそ、その功徳の機会を在家信者に与え、出家者は涅槃に向けた修行に専念しなさいという意味なのです。


転輪王と同じ遺体の処置とストゥーパ

さらにアーナンダ尊者は、遺体の具体的な処置について尋ねます。

ブッダは、理想の王である「転輪王」と同じ方法で扱うよう指示しました。
転輪王とは、古代インドにおける理想的な王の姿です。ブッダは母胎にいる時、ブッダか転輪王のどちらかになると予言された存在でもありました。

転輪王の遺体は、何重にも布で包んで火葬し、遺骨を埋めて塔を建てます。
この塔が「ストゥーパ」です。

日本の五重塔はストゥーパの系譜にあり、「卒塔婆」という言葉もストゥーパの音写です。
ストゥーパを礼拝することは、ブッダそのものを礼拝することに等しいと考えられ、大きな功徳があるとされました。


アーナンダ尊者の涙とブッダの言葉

一連の質問が終わり、少し休憩の時間が訪れます。
アーナンダ尊者は、いよいよブッダが亡くなられることを実感し、悲しみに耐えられなくなります。

「私はまだ学ぶ身なのに、私を可愛がってくださったブッダが亡くなってしまわれる……」

そう言って、扉にもたれて一人で泣いていました。

ブッダはその姿が見えず、周囲に尋ねて事情を知ります。そしてアーナンダ尊者を呼び寄せ、こう語りかけます。

「悲しむことはありません。愛する者との別れは必然だと説いてきたではありませんか。
あなたは慈しみある行いと言葉と心で私に仕えてくれました。
あなたは大きな功徳を積み、速やかに悟りに至るでしょう。」

さらにブッダは周囲の弟子たちに向かって、アーナンダ尊者の徳を称えます。

  • 最上の弟子であること
  • 賢者であり知者であること
  • 来客を適切に導き、僧団を支えたこと
  • 彼に会うだけで人の心が満たされること

アーナンダ尊者の人柄の素晴らしさが、よく伝わる場面です。


次回予告

次回は、臨終間際のブッダのもとに出家を希望する人物が現れます。
その人物に対して、ブッダがどのように対応されたのかをお話ししたいと思います。

※この記事は、以下の音声コンテンツをテキスト化したものになります。