悪魔との対談を終え、人生に幕を下ろす決意を固められたブッダは、ボーガ市を訪れます。そこで弟子たちに向けて、自らが説いてきた教えの真偽をどのように判定すべきか、その基準を説かれました。
それは、もし自分の死後に「私はブッダ、あるいは長老から、このような教えを聞いた」と主張する僧が現れたとしても、それを鵜呑みにしてはならない、という教えです。必ず経(お経)と律(僧侶のための規則集)に照らし合わせて判断しなさい、と説かれたのです。
ブッダが存命中であれば、教えの真偽は直接ブッダに確認することができました。しかし、ブッダが亡くなった後には、どれが本当にブッダの教えで、どれがそうでないのか、判別がつかなくなる恐れがある。そのことをブッダは深く危惧されていたのでしょう。
そこでブッダは、教えの真偽を見極めるため、四つの具体的なケースを想定して語られます。
第一のケース:ブッダから直接聞いたという主張
ある僧が「私はブッダから直接、かくかくしかじかの教えを受けました」と主張した場合、その内容を経と律に照らし合わせなさい。もしどちらにも合致しないなら、その僧は教えを誤って理解していると結論づけなさい。反対に、合致するのであれば、それをブッダの言葉として受け止めなさい、というのです。
このようなことは現代でもあります。「有名な先生がこう言っていた」という話などが、それに当たるでしょう。
第二のケース:所属する僧団の教えとして伝えられた場合
ある僧が「私はどこどこの僧団に属しており、そこでこれがブッダの教えだと教わりました」と主張する場合です。これは、すでに各地に広がった僧団の間で、教えに違いが生じ始めていたことをうかがわせます。
第三のケース:複数の博識な先輩僧の証言
「博識な複数の先輩僧から、かくかくしかじかはブッダの教えだと直接教わりました」という主張です。これは、第二のケースとも重なる部分があります。
第四のケース:著名な高僧の権威による保証
「博識で著名な○○という僧から、かくかくしかじかはブッダの教えだと直接教わりました」という場合です。私たちは発信者の地位や肩書に弱いものです。現代でも、「有名な先生が言っていたから」という理由だけで、内容を吟味せずに信じてしまうことがありますね。
以上の四つを、四大教法と呼びます。要するに、「原典に当たりなさい」という教えです。現代においても、ブッダの言葉として世間に流布しているものの中には、経典に載っていないものが少なからずあります。この点は、僧侶の間でもしばしば話題になります。
今回ご紹介している『大般涅槃経』は、現在のスリランカやミャンマーで伝えられてきた上座部仏教の系統で保持されてきた経典です。しかし、仏教には他にもさまざまなグループが存在しました。
インド北西部を拠点としていた別の仏教グループが伝えていた『大般涅槃経』には、いくつか異なる箇所があることが知られています。その一つが、この四大教法の部分です。
先ほどは、教えの判定基準として「経と律に照らし合わせる」と説明しましたが、このグループの伝える四大教法には、もう一つ基準が加えられています。それが、「ブッダの教えと同じ性質を持っているなら、それをブッダの言葉と認めてよい」という考え方です。
なぜ、このような基準が付け加えられたのでしょうか。それは、このグループが主張するある教えが、既存の経典には載っていなかったからです。
自分たちの創始者が経典を深く観察する中で、その教えが浮かび上がってきた。ブッダの教えは口承で伝えられてきたのだから、途中で忘れ去られた教えがあっても不思議ではない。それを見いだしたのだ、という説明がなされます。
この「啓示」という発想は、インド思想の中では決して珍しいものではありません。こうした考え方が広がることで、日本や中国で主流となる大乗仏教の経典が生み出されていきます。仏教史の大きな転換点に関わる重要な話だと言えるでしょう。
次回予告:ブッダ最期の直接的な原因
次回は、ブッダが亡くなる直接の原因となった出来事についてお話しします。
※この記事は、以下の音声コンテンツをテキスト化したものになります。

