前回は、ウルヴェーラー・カッサパらが出家し、仏教僧団が千人を超えたところまでお話ししました。今回はその続きです。
ウルヴェーラーの地をあとにしたブッダは、ラージャガハに到着します。ここはブッダが頻繁に滞在した場所の一つで、特に霊鷲山(りょうじゅせん)での説法記録が数多く残っています。
私も一度訪れたことがあるのですが、夜になると盗賊が出るため、日が暮れる前に慌てて帰らなければならなかった記憶があります。
「ラージャ」は王、「ガハ」は住まいを意味します。その名の通り、この地はマガダ国の首都であり、ビンビサーラ王が暮らしていました。
ブッダは出家間もないころにビンビサーラ王と出会っており、その際に「悟りを開いたらまた来てください」と約束していました。今回の訪問は、その約束を果たす形となります。
二人は会見し、やり取りを交わした結果、ビンビサーラ王は仏教徒となり、仏教僧団を支援することを約束しました。その支援の一環として、僧団の拠点を提供します。
これが仏教史上最初のお寺とされる**竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)**です。
後に有名な祇園精舎が建てられますが、それは二番目の精舎です。精舎とはサンスクリット語の「ヴィハーラ」の訳で、僧院・お寺を意味します。
ビンビサーラ王にとって拠点を提供することは、ブッダがしばしば滞在してくれる環境を整えることにつながります。結果として、王自身がブッダの教えを聞く機会が増えるわけです。
言ってみれば、これは「推し活」のようなものです。自分の“推し”に快適に来てもらうため、別荘を用意するような感覚だったのでしょう。
ここで、ビンビサーラ王の物語を語る上で欠かせないのが王舎城の悲劇です。これは『観無量寿経』にも説かれ、実際の事件をもとにしているといわれます。
事件の中心人物は、王の息子アジャータシャトルです。彼は駐屯地で父と対立し、そこに目をつけたのがブッダの弟子でありながら対立していたデーヴァダッタでした。
デーヴァダッタはアジャータシャトルにこう唆します。
「どうせいずれはあなたが王になるのです。今のうちに父を殺して王位を継げばよい」と。
その結果、アジャータシャトルは父を幽閉し、餓死させてしまいます。これが「王舎城の悲劇」です。
父を死に追いやったアジャータシャトルは、のちに深く悔い、ブッダと交流して仏教徒となります。
一方、デーヴァダッタは教団を分裂させようとして失敗し、地獄に堕ちたと伝えられています。
ただし、7世紀にインドを旅した玄奘三蔵は、ベンガル地方にデーヴァダッタ系の教団が存在していたと記録しています。そこでは非常にストイックな修行生活が行われていたといいます。
このことから、デーヴァダッタは後世に描かれるような「悪人」ではなく、教団運営をめぐってブッダと袂を分かった人物だったのではないか、とも考えられます。歴史は常に勝者によって記録されるため、彼が悪者として仕立て上げられた側面もあるのでしょう。
次回は、ブッダの二大弟子とされるサーリプッタ尊者とモッガラーナ尊者との出会いについてお話しします。
※この記事は、Podcast番組『かんどう和尚のはじめての仏教』のエピソードをもとにしています。

