【仏教入門4-3】仏教の始まり|ブッダが五人の仲間に説いた「初めての教え」とは?

初転法輪

仏教初心者の方に向けてお届けしています。インスタグラムのフォロワー3万人超の僧侶、私・かんどう和尚が、メタ的な視点から仏教を分かりやすく解説するプログラムです。

ブッダが教えを説き始めたきっかけとその第一歩

今回は、悟りを開いた後のブッダがどのように動き出したのかを、『ニダーナカター』をもとにご紹介します。

前回お話しした通り、ブッダは梵天からの懇願を受け、教えを広める決意を固めました。仏教では、ライバル宗教の神々や教祖を登場させて、物語の中で道化的な役割を担わせることがしばしばあります。梵天がブッダに布教を願い出る逸話もその一例といえるでしょう。

教えを広めることを決めたブッダは、最初に誰に説くかを考え、かつて共に修行した五人の仲間たちを思い出します。彼らがいるバラナシ(英語ではベナレス)に向かいました。

五人の仲間たちは、ブッダが近づいてくるのを見て、「ゴータマが来るぞ。あいつは苦行をやめて贅沢な生活をしている。出迎えず、衣鉢(衣と器)も受け取らないように。ただ、席だけは用意してやろう」と話し合いました。いわば、冷たい対応を決めたのです。

しかし、実際に悟りを開いたブッダの威容を前にすると、彼らは立ち上がって出迎え、衣鉢を受け取り、用意した席に招き入れました。そして「ゴータマよ」や「友よ」と呼びかけますが、ブッダはこう言います。

「私はすでに悟りを得た。だから、以前のように名前や『友よ』と呼ぶのはふさわしくない」。

仏教経典ではブッダを「世尊(せそん)」などの尊称で呼ぶことが多く見られます。日本でも、天皇陛下をお名前で呼ばないように、尊い存在を名前で呼ばない感覚は万国共通かもしれません。ただし、経典の中には「ゴータマ」と呼ぶ人物も登場します。そうした人々は、仏教を信じていなかったり、ブッダを侮っていたりするのです。呼び方一つで相手への認識が分かるものですね。

四聖諦と諸行無常の理解とは

五人の仲間たちはブッダに対して、「あなたは苦行を捨てて贅沢に暮らしていた。それなのに、どうして悟りを得たなどと言えるのか」と問いかけます。ブッダは、「それでは私が悟った教えを語りましょう」として、初めての説法を行います。

このとき語られたのが、いわゆる「四聖諦」の教えです。

  • この世は苦しみに満ちている(苦諦)
  • その原因は煩悩である(集諦)
  • 煩悩は消滅させることができる(滅諦)
  • そのための方法が八正道である(道諦)

くわしく知りたい方は、【悟り編】第4話をご覧ください。

繰り返し教えを聞くうちに、五人のうちの一人・コンダンニャが「生じるものは必ず滅する」と理解し、「預流果(よるが)」と呼ばれる悟りの最初の段階に至ります。これは、「諸行無常」の真理を理解したことを意味します。

「そんなの、誰でも知ってるよ」と思われるかもしれません。でも、本当にそうでしょうか? 例えば、大切な人が年を取り、命が尽きようとしているとき、冷静でいられますか?

「諸行無常」を本当に理解するとは、そうした時にも心が乱れない境地に達することなのです。ブッダが入滅されたとき、修行が未熟な弟子たちは地面に伏して泣き崩れました。しかし、悟りに達していた弟子たちは、「諸行は無常である。滅びないものなどあろうか」と静かに受け入れました。

なぜ「無常」なのか?縁起の視点から考える

せっかく「諸行無常」の話が出たので、少し深掘りしてみましょう。「諸行無常」は、「一切皆苦」「諸法無我」と並ぶ仏教の三つの基本教義(三法印)のひとつです。

「なぜ、無常なのか?」その原理を考えてみましょう。この世のあらゆるものは、互いに関係し合い、影響し合っています。もしすべての物が独立し、完全に干渉しないなら、変化は起こりません。

たとえば、鉄が錆びるのは、水や酸素と接するからです。鉄が他のものとまったく関係を持たなければ、ずっとそのままでしょう。しかし、現実の世界では、すべてが関係性の中で存在しており、そのために変化が生じるのです。

「諸行」とは、関係性の中で成り立っている存在全体を意味します。だからこそ「諸行無常」なのです。

布教とサンガ(教団)の始まり

仏教では、教えを聞くだけではなく、瞑想や修行を積むことが重要だとされます。しかし、経典にはブッダの説法を聞いただけで悟りに至った人々も多く描かれています。これは、ブッダが非常に優れた説法者であったことを物語っています。

この後、ブッダと五人の仲間は共同生活を始めます。食事はどうしていたかというと、3人が説法を聞いている間、残りの2人が托鉢に行って食事を調達し、翌日は交代するという効率的な方法をとっていました。

つまり、托鉢とは修行というよりも、共同生活の食料を確保するための手段だったのです。私の所属する禅宗では、皆で一斉に托鉢に出ることがありますが、そうした方法は本来の意味とは少しズレているかもしれませんね。

このような生活を続けるうちに、他の仲間たちも次々と悟りに至り、全員がブッダの弟子となりました。これが仏教教団「サンガ」の誕生です。

次回は、このわずか6人で始まったサンガが、どのように拡大していくのかをお話ししていきます。

※この記事は、Podcast番組『かんどう和尚のはじめての仏教』のエピソードをもとにしています。Podcast番組では、記事にはないアフタートークもありますので、ぜひお聴きください