【仏教入門4-2】ブッダが教えを広めるのをためらった理由とは?梵天勧請と仏教の布教の始まり

梵天勧請

「かんどう和尚のはじめての仏教」
この番組は仏教初心者の方に向けて、Instagramのフォロワー3万人超えの僧侶、私・かんどう和尚が、メタ的な視点から仏教を解説するプログラムです。

教えを広めることをためらったブッダ

さて、前回から、悟りを開いた後のブッダがどのような行動をとったのかを、仏伝『ニダーナカター』に基づいてご紹介しています。前回は、ブッダが最初の在家信者である商人タプッサとバッリカの二人を得たところまでお話ししました。

このエピソードは、仏教が都市の商人階層に支持された宗教であることを象徴的に示しているともいえるでしょう。

通常であれば、そこから順調に教えが広まっていった…となりそうなところですが、実はそうではありません。ここから、ブッダは予想外の行動に出ます。なんと、「教えを広めることをためらう」のです。

この話を初めて聞いた方は驚かれるかもしれません。特に、日本で広く知られている大乗仏教の考えでは、ブッダは「すべての命あるものを救うために出家した」とされているため、多くの方がそのように理解されていることでしょう。

しかし、初期仏典とされる古い経典には、ブッダご自身が教えを説くことに消極的だったことが、明確に描かれています。

その理由について、ブッダはこう語られています(要約):

「私が会得した教えは非常にすばらしい。ただ、人々は執着することを楽しみとしている。そういう人たちに『欲望を捨てなさい』『執着を断て』と言っても理解されないだろう。理解できない者に説いても、私は疲れるだけだ。」

つまりブッダは、教えが正しく伝わらないことを憂慮し、誰にも説かずに静かに生涯を終えようかとさえ考えたのです。


梵天勧請――仏教が始まるきっかけ

しかし、このままでは仏教は始まりません。そこで登場するのが「梵天」です。

梵天とは、当時のインド社会で主流だったバラモン教の最高神。仏教から見ればライバル宗教の神ですが、その梵天が「このままでは仏教が始まらない」と危機を察知し、天界から地上に降りてきて、ブッダに懇願します。

「どうか、この世に教えを説いてください。この世には少ないながら、あなたの教えを理解できる者もおります。」

ブッダは最初は渋りますが、三度目のお願いでようやく納得し、こう考えます。

「世間を見渡すと、確かに教えを理解できる者もいる。その者たちのために説こう。」

こうしてブッダは布教を決意し、仏教が始まったのです。
これが「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」として知られる有名な逸話です。

このエピソードにはいくつかの重要な示唆が含まれています。

  • 仏教の教えが優れていることを、他宗教の神によって証明する構図
  • バラモン教という強大な宗教の最高神が、ブッダに頭を下げるという演出
  • 初期の仏教徒や仏伝編纂者の思想的背景や宗教観の反映

また、このように仏教聖典にはしばしば神々や超常的な出来事が登場します。近代以降の西洋的合理主義の視点では否定的に捉えられがちですが、古代インドでは神話と現実が地続きでした。
当時のインド人になりきって、仏教を読むという視点が、今の私たちには必要かもしれません。


「分かる人には分かる」仏教の布教スタンス

ここで一つ、大切な視点があります。
それは、仏教はすべての人に向けられていないということです。

「IYKYK(If You Know, You Know)」という英語のスラングをご存知でしょうか?
「わかる人にはわかる」という意味で使われます。実は、仏教の布教の姿勢もこれに近いのです。

この世に違和感を感じたり、生きづらさを感じている人には、「いらっしゃい」と言う。
しかし、人生が楽しくて仕方ない人に「この世は苦しみですよ」「執着を捨てましょう」と言っても、ただの押しつけです。
だから、仏教はそういった人を対象にはしていません。

この布教姿勢は、他宗教によく見られる「他者への強制的な改宗」とは一線を画すものであり、仏教が基本的に他宗教への弾圧を行ってこなかった背景にも通じているように思います。


最初の教えは誰に向けて?

教えを説く決意をしたブッダは、最初に誰に説くかを考えます。

まず思い浮かんだのが、瞑想を教えてくれたアーラーラ・カーラーマでしたが、彼は1週間前に亡くなっていたことが分かります。

次に思い出したのがウッダカ・ラーマプッタ。しかし、彼も前日に亡くなっていたことが判明します。

そこで、かつて共に苦行をした5人の仲間たちのもとに向かうことを決意します。

その道中、ブッダは他宗教の僧侶・ウパカと出会います。彼はアージーヴィカ教という宗教の修行者でした。ブッダは彼に、自分が悟りに至ったことを告げます。

しかし、ウパカは首を横に振って立ち去ります。インドでは首を横に振るのが「了承」の意味を持つこともありますが、経典の記述からは「ああ、そうですか」と軽く受け流された印象を受けます。

ちなみに、有名な「天上天下唯我独尊」の言葉は、このウパカとの会話の中から派生したとされる説もあります。

次回は、ブッダと5人の修行仲間たちとの再会と、初めての説法についてお話しします。

※この記事は、Podcast番組『かんどう和尚のはじめての仏教』のエピソードをもとにしています。Podcast番組では、記事にはないアフタートークもありますので、ぜひお聴きください