権威と聞くと、それだけで悪いもののように感じる人も多いかもしれません。
しかし、本当に権威とは不要なものなのでしょうか。
もしまったく意味のないものであれば、そもそも権威は存在しないはずです。
権威があるということは、そこに何らかの利点があるからこそ、社会の中で維持されてきたとも考えられます。
もちろん、権威には恐ろしい側面もあります。
構成員が思考停止に陥ったり、誤りが修正されなくなったり、善悪の倫理観が歪んでしまうこともあるでしょう。
しかし一方で、権威が存在することによって、統一的な見解が示され、解釈が乱立することを防ぐという利点もあります。
仏教の場合、ここにさらに「信仰」という要素が加わるため、問題は一層複雑になります。
今回のお話は、権威と信仰についての話です。
前回、仏教教団がブッダ入滅から約100年後に分裂したという話をご紹介しました。
その原因は、規則の解釈をめぐる対立でした。
仏教教団は時代とともに地理的に拡大し、それまでの規則では対応できない事例が増えていきます。
そこで、
- 現実に合わせて規則を柔軟に運用すべきだと考えるグループ
- ブッダが定めた規則を変更すべきではないと考えるグループ
この二つが対立し、結果として教団は分裂してしまったとされています。
これは、インド南方の仏教に伝わる伝承です。
内容としては、組織運営に関わる非常に実務的な問題であり、それだけに現実味のある話です。
しかし実は、これとはまったく異なる分裂の伝承が、インド北方の仏教グループに伝えられています。
こちらは実務ではなく、信仰に関わる話です。
今回は、その伝承をご紹介します。
なお、序盤には少々センシティブな内容が含まれますが、ご容赦ください。
昔、インドのマトゥラーという地方に、一人の商人が住んでいました。
彼は妻をめとり、やがて一人の息子が生まれます。
その子はマハーデーヴァと名付けられました。
- マハー:大きい、偉大
- デーヴァ:神、天
イタリア語の「ディーバ(歌姫)」も同じ語源を持つ言葉です。
このマハーデーヴァを漢訳すると大天と呼ばれます。
父親は遠方へ商いに出ていることが多く、大天は母親と二人で暮らしていました。
しかしある時、二人は男女の関係になってしまいます。
そのことが父親に知られそうになったため、二人は共謀して父親を殺害します。
仏教では、親殺しは地獄行きが確定する重罪とされています。
さらに二人は事件の発覚を恐れて、マガダ国の首都パータリプトラへ逃亡します。
そこで身を潜めて暮らしていましたが、ある日、マトゥラー時代に親しくしていた僧侶と再会します。
悪事が露見することを恐れた大天は、その僧侶を殺害してしまいます。
しかもその僧侶は、悟りの最高段階である阿羅漢でした。
これは仏教において、先ほどの親殺しと並ぶほどの重罪です。
さらに後に、大天は母親が別の男性と関係を持っていることを知り、怒って母親も殺害してしまいます。
やがて年月が経ち、大天の心には後悔の念が生まれます。
ある日、仏教寺院を訪れたとき、門の外で僧侶が次の詩を唱えているのを耳にしました。
「以前には悪い行ないをした人でも、
のちに善によってつぐなうならば、
その人はこの世を照らす。
雲を離れた月のように。」
これは、猟奇殺人鬼だったアングリマーラが改心して出家し、阿羅漢となったことを踏まえて、ブッダが説いた言葉です。
これを聞いた大天は、出家を決意します。
出家後、大天は驚くほどの才能を見せました。
もともと聡明だったため、あっという間に経典を暗唱できるようになり、説法も非常に上手だったのです。
そのため、次第に周囲では
「大天は阿羅漢ではないか」
という噂が立つようになります。
大天はそれを否定することもなく、阿羅漢のように振る舞うようになります。
ここで考えさせられるのは、知性とは何かという問題です。
勉強ができること、暗記力があることと、
倫理的判断力や人格が備わっているかどうかは、必ずしも同じではありません。
ある日、大天は夢精によって寝具を汚してしまいます。
弟子に指摘されると、大天はこう弁明しました。
「これは悪魔の策略であり、阿羅漢でも起こりうることだ」
さらに別の時には、弟子に向かって
「お前は阿羅漢になった」
と告げます。
弟子が
「自分が阿羅漢になった自覚がない」
と尋ねると、大天は
「わからないこともある」
と答えました。
また別の弟子が、
「阿羅漢には疑いがないと聞くが、自分にはまだ疑問がある」
と言うと、大天は
「そういうこともある」
と答えます。
さらに、
「阿羅漢になれば自分でわかるはずなのに、自分ではわからなかった」
と問われても、
「そういうこともある」
と答えました。
ある時、大天は過去の罪を思い出して「苦しい」と声を上げます。
弟子が
「阿羅漢は苦しいと言わないのでは」
と問い詰めると、大天はこう答えました。
「苦とは仏教の真理であり、それがあるから悟りを求めるのだ。
だから私はあえて口に出したのだ」
このようにして、大天は次第に自分の理屈を体系化していきます。
ついに大天は、僧団の会議の場で自説を主張します。
周囲の僧侶たちは驚きます。
彼らは
「阿羅漢という最高の悟りの権威を貶めている」
と考え、論争になります。
しかし決着がつかないため、王が仲裁に入ります。
ところが王も判断できません。
困った王が大天にどうすればよいか尋ねると、大天は
「多数決を取りましょう」
と提案します。
その結果、大天側の人数が多数でした。
少数派の僧侶たちは納得できず、別の土地へ移住します。
後に王は、大天側が誤りだったと知り、彼らを呼び戻そうとしますが、彼らは応じませんでした。
この少数派はインド北西部のカシュミール地方に定住したといわれます。
そして、この出来事によって仏教教団が分裂した
これが北方仏教に伝わる分裂伝承です。
後日談もあります。
大天は天寿を全うして亡くなります。
人々は悲しみ、立派な供物を捧げて火葬しようとしますが、火がつきません。
そこへ見知らぬ人物が現れ、こう言いました。
「大天は供物が燃えてしまうのが惜しいのだ。
犬の糞で供物を汚せ」
人々がその通りにすると、たちまち火がつき、遺体は灰になります。
聖者の灰は信仰対象になりますが、突然暴風が起こり、灰はすべて吹き飛ばされてしまいました。
この物語は、説一切有部という仏教グループの文献である大毘婆沙論などに記されています。
そして彼らの本拠地が、先ほど出てきたカシュミールです。
そのため、この話は
自分たちの正統性を主張するために作られたのではないか
と疑われています。
仏教には五逆罪という必ず地獄に堕ちるとされる五つの罪があります。
- 父殺し
- 母殺し
- 阿羅漢殺し
- 仏の身体を傷つける
- 教団を分裂させる
大天は、仏を傷つける罪以外の四つすべてを犯しています。
ブッダはすでに亡くなっているので、それだけが不可能だったのです。
つまり、
現実に可能な五逆罪をすべて犯した人物
として描かれているわけです。
少し出来すぎた話にも見えます。
しかし、この話が完全な創作だとすると、矛盾も生じます。
というのも、分裂後も大天は一定の尊敬を受けていた形跡があるからです。
もし完全な悪役なら、徹底的に貶めて描かれるはずです。
そうではないのは、
大天は実在の人物で、実際には尊敬されていた
可能性もあるからです。
そう考えると、いくつかの辻褄が合います。
ただし、辻褄が合うからといって、断定するのは危険です。
南方の伝承も含めて、
- どれが真実なのか
- どれが誇張なのか
- あるいはすべてが誤りなのか
それはわかりません。
優れた知性を持つ人には、ある特徴があるといわれます。
それは知的謙虚さです。
すぐに
「こうに違いない」
と決めつけず、
- ああかもしれない
- こうかもしれない
と複数の可能性を考慮し、慎重に判断する。
そして、自分の判断が誤っている可能性を常に意識し、必要であれば結論を変えることも厭わない。
この姿勢こそが知性の重要な側面です。
私は、この二つの仏教教団分裂の伝承にも、同じ態度が必要だと思います。
おそらく、それぞれの伝承のもとになる出来事は存在したのでしょう。
しかし、それが本当に分裂の原因だったのかはわかりません。
ただし、そこに現れている
- 規則をどう解釈するのか
- 阿羅漢という信仰対象をどう扱うのか
こうした問題意識は、当時の僧侶たちの真剣な悩みを反映しています。
それを知ることは、現代を生きる私たちにも確かな学びを与えてくれます。
通常、組織が分裂すれば弱体化するものです。
しかし仏教は、この後むしろ全盛期を迎えることになります。
そこには、ある一人の王の存在がありました。
次回は、その人物についてお話ししたいと思います。
※この記事は以下の音声コンテンツをテキスト化したものになります。

