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今回は『ニダーナカター(縁起譚)』に基づき、ブッダの出家に至る過程とその後の托鉢生活についてお話しします。
これまでと同様に、悟りを開く前のブッダのことを「菩薩(ぼさつ)」と呼びます。前回は、菩薩が老人・病人・死人と出会い、死という避けられない現実に直面したことで、出家への思いを強くした場面までご紹介しました。
それまでの菩薩は、王子としてあらゆる物質的な快楽を享受していました。しかし、やがて「自分も必ず死ぬ」という事実に気づいたとき、そうした幸福に意味を見出せなくなったのです。
このとき、もう一つの選択肢が現れます。どうせ死ぬのだから、楽しいことや気持ちの良いことだけを追求して生きればいい、という「享楽主義的」な考え方です。実際、当時のインドにはそうした思想を説く人々も存在していました。
しかし、菩薩はその道を選びませんでした。ここに、菩薩の深い精神性と、真理を求める強い意志が表れています。
29歳になった菩薩は、ますます出家への気持ちを強めていきます。それを察していた父・スッドーダナ王は、なんとか思いとどまらせようと、快楽を与え続けました。
ある夜、菩薩は女性たちに囲まれ、歌や踊りでもてなされましたが、興味を示すことなく眠ってしまいます。深夜、ふと目を覚ますと、周囲の女性たちも寝ており、ある者は歯ぎしりをし、ある者はよだれを垂らし、だらしのない姿で眠っていました。
この光景に、菩薩は強い嫌悪感を抱き、ついに出家を決意します。
この場面は、人間の「本質的な姿」に気づいた象徴的な出来事として語られます。表面的には魅力的に見える異性も、実際は皮一枚下に臓器や排泄物を抱えており、決して清らかなものではないという、ブッダ独特の人間観がここにあります。
出家を決意した菩薩は、御者を起こして馬を用意させ、城を抜け出す準備をします。最後に一目、我が子ラーフラの寝顔を見に行きますが、もし抱き上げて泣かれてしまえば出立が妨げられるかもしれない――そう考え、見るだけで静かにその場を後にします。
こうして、菩薩は密かに宮殿を抜け出し、身につけていた装飾品を外して頭を剃り、粗末な衣をまとい、森へと向かいます。
当時はまだ寺院というものはなく、出家者は森に入り、それぞれの方法で修行を行っていました。こうして、菩薩の本格的な出家生活が始まります。
ここで、出家という行為の重みについて補足しておきましょう。
現代の日本では、出家は個人の自由な選択のように思われるかもしれませんが、古代インドでは大変重大な決断でした。当時のインド社会では、人は年齢や身分、カーストに応じて果たすべき義務(ダルマ)があると考えられており、それを果たすことで社会の秩序が保たれていたのです。
『バガヴァッド・ギーター』という古典にも、その考え方が色濃く反映されています。興味のある方はぜひ読んでみてください。もちろん、興味がなければ覚える必要はありません(笑)。
出家は、こうした社会的義務や責任をすべて放棄する行為であるため、当時は社会秩序を乱すものと見なされることもありました。これは中国でも同様でした。
出家した菩薩は、さっそく「托鉢(たくはつ)」の実践を始めます。
日本では、托鉢というと僧侶が街角で鉢を持ち立っている姿をイメージするかもしれませんが、本来の托鉢は町や村の家々をまわり、食べ物の余りを分けてもらうものです。
しかし、その食事は味のバランスも悪く、決して美味しいとは言えません。それまで豪華な食事しか口にしてこなかった菩薩は、あまりのまずさに思わず吐き戻しそうになります。
それでも、「私は何のために出家したのか。あの出家者たちのようになりたくて、すべてを捨てたのではなかったか」と自らを戒め、食事を完食しました。
菩薩が托鉢をしていた場所は、マガダ国の都・ラージャガハ。そこでその姿を見かけたのが、国王・ビンビサーラです。
出家者の粗末な姿をしていながら、どこか気品のある菩薩に「ただ者ではない」と感じた王は、自ら会いに行きます。そして出自を尋ねると、菩薩がシャーキャ族の王子であることを知り、「国に戻ってくれれば、軍事・経済支援をする」と申し出ます。
当時、マガダ国は覇権争いの渦中にあり、有力な同盟を求めていたのです。
しかし、菩薩はこの申し出を断り、ビンビサーラ王もその意思を尊重して引き下がります。こうして、菩薩は本格的な修行生活へと進んでいきます。
次回は、出家後の菩薩がどのような修行に取り組んだのかをご紹介したいと思います。どうぞお楽しみに。
※この記事は以下の音声コンテンツをもとに作成されています。音声配信では、記事にはないアフタートークも収録されておりますので、ぜひお聴きください。

