皆さん、こんにちは。
前回は、パータリガーマでブッダが説かれた「戒を守ることの大切さ」についてお話ししました。
戒を守ることで、自然と悪いものから身を守ることができます。私たちはつい、自分の努力や意志で守れていると思いがちですが、仏教ではそうではなく、「戒そのものに悪を防ぐ力が備わっている」と考えます。これを**防非止悪(ぼうひしあく)**の作用といいます。
仏教徒にとって戒は、まるでお守りのような存在です。
これは日本でも同じで、たとえば数年前に放送されたNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の中で、源頼朝が臨終の際に「受戒(じゅかい)」の儀式を受ける場面がありました。
これは、これから黄泉の世界に旅立つ人を、悪いものから守るために行われるもの。戒がお守りとして信じられてきたことをよく表しています。
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さて今回は、ブッダがパータリ村をあとにして、コーティ村を経由し、ナーティカ村に入られた場面です。
この村には多くの僧侶や信者が住んでおり、すでに亡くなった人もいました。そこでブッダの付き人であるアーナンダ尊者が尋ねます。
「サーラというお坊さんがこの村で亡くなりましたが、彼の来世はどうなっているでしょうか?」
このように、アーナンダ尊者はこの村で亡くなった12人の僧侶や信者の名前を次々に挙げ、それぞれが死後どうなったのかをブッダに尋ねていきます。
ブッダは一人ひとりについて丁寧に答えます。
「サーラはすべての煩悩を滅して涅槃に至った」
「ナンダーは悟りの第三段階に達し、天に生まれ変わってそこで涅槃に入る」
このように12人分の回答をしていきましたが、アーナンダ尊者はまだ質問したそうな様子だったので、ブッダはそれに倦んで、人が亡くなることが必然であることを語ります。
どうやらアーナンダ尊者自身が気になっていたというより、村人たちが知りたがっていたようで、代わりに質問していたようです。アーナンダ尊者は本当に優しい方だったのですね。
ブッダもまた、そんなアーナンダ尊者には甘く、彼に頼まれると断れなかったと伝えられています。
しかし今回はさすがに根負けしたようで、こう語りました。
「私に聞かなくても、自分で来世を判断する基準を知ることができるだろう。
もし、ブッダとその教え、そしてサンガ(僧団)を信じ、戒を守って生きていれば、悪い世界に生まれることはない。
また、自分の中でどの煩悩が滅しているかを見れば、悟りの段階も分かるはずだ。」
そう説いて、ブッダは次の目的地であるヴェーサーリーへと向かいます。
ヴェーサーリーは、前々回にも登場したヴァッジ国の都です。
ブッダはこの地の**アンバパーリー園(マンゴー園)**に滞在しました。
アンバパーリーというのは女性の名前で、
「アンバ」はマンゴー、「パーリー」は「守る」という意味。
マンゴーの木の下で生まれたため、その名がついたといわれます。
彼女は非常に美しく、多くの王子たちが妻にと望み、争いが起きたため、それを鎮めるために遊女となったと伝えられています。
日本の江戸時代でいえば、花魁のような存在だったでしょう。
アンバパーリーは裕福で教養もあり、ブッダの熱心な信者でした。
ブッダがヴェーサーリーに来られたと聞くと、居ても立ってもいられず、すぐに会いに行きます。
ブッダは彼女を歓迎し、法を説き、励まし、深く感銘を与えました。
満足したアンバパーリーは、「明日、ブッダと弟子たちに食事を供養したい」と申し出ます。
ブッダは沈黙によってこれを承諾します。
仏教では「沈黙は同意を意味する」とされます。
その頃、ヴェーサーリーのリッチャヴィ族の人々も、ブッダが滞在していると聞き、会いに向かっていました。
途中でアンバパーリーと出会い、彼女が翌日の供養を申し出たことを知ります。
リッチャヴィ族の人々は大金を差し出して「その供養の権利を譲ってほしい」と頼みましたが、アンバパーリーはきっぱりと断ります。
「たとえヴェーサーリーの都をもらっても、この権利は譲りません。」
この言葉に、彼女の信仰の深さが表れています。
その後、リッチャヴィ族は直接ブッダに会い、翌日の供養を願い出ますが、ブッダは「すでにアンバパーリーと約束している」と断りました。
彼らは「女性に負けてしまった」と悔しがったと伝えられます。
このエピソードから、ブッダが男女を当時としては非常に平等に扱っていたことがよく分かります。
アンバパーリーはその後、自身のマンゴー園を仏教サンガに寄進しました。
それはマガダ国のビンビサーラ王が建立した竹林精舎と並ぶ、ヴェーサーリーにおける新たな拠点となりました。
次回は、いよいよブッダが病に倒れる場面です。
ブッダの身にも、確実に「老い」の影が忍び寄っていました。
※この記事は、以下のポッドキャストの音声をテキスト化したものになります。

