【4-4仏教入門】ブッダにそっくりな生い立ちの青年の出家。ヤサの出家が意味するものとは?

ヤサ


はじめに

前回は、ブッダが五人の仲間を弟子にして、仏教教団「サンガ」が成立したところまでをお話ししました。
これは現代にたとえるなら、仲間とともにベンチャー企業を立ち上げたようなもの。やがて数万人、数億人規模へと拡大していきます。GoogleやAppleの成長に重ね合わせるとイメージしやすいでしょう。

最初期の仏伝は、ブッダが悟りを開き、弟子が増えて組織が成立するところで終わります。つまり、仏伝は本来「仏教組織の成立史」として描かれたものでした。その後、人々の関心は組織からブッダという人物へ移り、やがてブッダの生涯を物語る形式に発展していったのです。


ヤサ──大富豪の息子の出家

五人の弟子とサンガを立ち上げた後、ブッダが森を歩いていると、一人の青年に出会います。彼の名はヤサ。大富豪の息子でした。

父から愛され、三つの宮殿を与えられ、多くの女性に囲まれた生活を送っていたヤサ。しかしある夜、宴の最中に目を覚ますと、美しいはずの女性たちの無様な姿を目にし、強い厭世の念が湧き上がります。そして、出家を決意して修行者の集まるバラナシへ向かったのです。

ヤサの境遇は、ブッダ自身と驚くほど似ています。ただ一つ異なるのは、ブッダにはロールモデルがいなかったのに対し、ヤサにはブッダという手本があったこと。ブッダは苦行や迷走を経験しましたが、ヤサはブッダの導きにより速やかに悟りへと至ることができました。

この物語は、「ブッダと同じような動機で出家すれば、仏教の教えによってすぐに悟れる」というメッセージを示すと同時に、「苦行は無意味である」という主張を補強する役割を果たしています。


初めての在家信者と三帰依

ヤサの両親は後に在家信者となり、初めて「三帰依」を唱えた仏教徒となりました。

  • タプッサとバッリカ(最初の信者)は、サンガがなかったため「仏・法」の二つに帰依。
  • ヤサの両親は、すでにサンガが成立していたため「仏・法・僧」の三つに帰依。

これ以降、仏教徒となるには三帰依を唱えることが必須となっていきます。

当初、両親は跡取り息子の出家に強く抵抗しました。しかしブッダの諭しにより、ヤサが欲望への執着を捨て、以前の生活に喜びを感じられなくなっていることを理解し、最終的に承服しました。


出家をめぐる二つの問題

ブッダは弟子を次々に出家させましたが、その過程で大きな問題も生じます。

1. 親の許可を得ずに出家させること

故郷に戻ったブッダは、弟ナンダや息子ラーフラまで出家させました。父スッドーダナ王は強く抗議し、以後「親の許可を得ていない者は出家させない」という規則が定められます。

2. 殺人鬼アングリマーラの出家

999人を殺し、指で首飾りを作っていたアングリマーラも、ブッダに諭されて出家しました。しかし本来は国王の裁きを受けるべき立場であったため、社会から強い非難を受けます。この件をきっかけに、「殺人者は出家させてはならない」という規則が制定されました。


最古の出家のかたち

現代の出家は書類や儀式を経て厳格に行われますが、当時はとてもシンプルでした。
ブッダが「来たれよ、比丘よ」と一言告げるだけで出家が成立したのです。

ヤサの友人54人も次々に出家し、阿羅漢となりました。その急速な展開は「悟りのバーゲンセール」と揶揄されるほどでした。


サンガ拡大と遊行の指示

弟子が増えた頃、ブッダは弟子たちに遊行(ゆぎょう)を命じます。
「二人以上では行くな、一人で行け」との指示は、より広く仏教を伝えるための工夫でした。

当時、60人ほどの比丘たちは托鉢で食事を得ていました。ブッダは家庭に負担をかけすぎないように細かいルールを定めています。

  • 托鉢は午前中に一度だけ
  • 生活が苦しい家からは受け取らない

有名な言葉に、

蜜蜂は花の色や香りを損なわずに蜜を集め、飛び去る。聖者もまた、そのように村に入れ。
とあります。これは「人々に負担をかけることなく托鉢せよ」という教えです。

こうして弟子たちは各地を巡り歩き、仏教は広がっていきました。


👉 次回はさらに、ブッダと弟子たちの活動についてお話ししていきます。

※この記事は、Podcast番組『かんどう和尚のはじめての仏教』のエピソードをもとにしています。