皆さん、こんにちは。「かんどう和尚のはじめての仏教」へようこそ。 このサイトは、仏教初心者の方に向けて、やさしく・わかりやすく仏教の教えをお届けしています。
前回は、ブッダのお母さまが木の枝につかまりながら出産された場面までお話ししました。今回はその続きをご紹介します。なお、例によって、この時点ではまだブッダになっていないため、「菩薩(ぼさつ)」とお呼びします。
一般的に、産まれたばかりの赤ん坊には胎内の残留物が付着しているため、看護師が清拭を行います。しかし、菩薩の場合は、すでに清拭されたかのような清らかな状態で、あたかも階段を下りるかのように現れたと伝えられています。
さらに、空中から二筋の水が流れ落ちてきて、菩薩とお母さまの身体を清めたとされます。この故事にちなみ、ブッダの誕生を祝う法要では、赤子の姿をした仏像の頭上に甘茶を注ぐ儀式が行われます。これは「灌頂(かんじょう)」と呼ばれ、本来インドでは王の即位や立太子の際に行われた風習です。
また、菩薩の誕生の際には、多くの神々が祝福に駆けつけたと『ニダーナカター』に記されています。その場で菩薩は神々を含むあたりを見渡し、七歩歩んだとされます。生まれたばかりのわが子が歩く姿を見て、お母さまはどのように感じられたのでしょうか。
そして、菩薩は次のような言葉を発します。
「私はこの世の第一人者である。
私はこの世の最年長者である。
私はこの世の最優者である。
これが最後の生である。今後、再び生を受けることはない。」
この場にいた神々は、以前ご紹介したバラモン教において崇拝されていた存在であり、彼らはバラモン教の宗教的価値観を象徴しています。こうした背景を踏まえると、上記の言葉はバラモン教に対する仏教の優位性を示す宣言と解釈されています。この言葉は中国において「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と訳されました。
もしかすると、「天上天下唯我独尊」を「この世のすべての存在は私と同様に尊い」「すべての命はかけがえのないもの」といった意味で耳にされた方もいらっしゃるかもしれません。
このような解釈は、現代の日本仏教では広く知られていますが、実は日本独自の解釈です。私自身、該当箇所のインド語原文を読んだ経験がありますが、そのように翻訳するのは極めて困難です。
では、なぜこのような解釈が日本で広まったのか。それは江戸時代にまで遡ります。当時、平田篤胤ら国学者が仏教や儒教を否定し、神道の復古を推進する中で、「天上天下唯我独尊」という言葉が文脈を無視して取り上げられ、攻撃対象となりました。
こうした背景への弁明として、先に紹介したような平等的な解釈が生まれたのです。さらに、現代の人権意識や平等思想とも合致することから、その解釈が現在まで受け継がれています。
とはいえ、菩薩が生きておられたのは二千五百年前の古代インド。世界観・価値観・倫理観が現代日本とはまったく異なる時代です。そうした歴史的背景を踏まえずに現代の価値観で語るのは、いわば後出しじゃんけんのようなものです。
当時は仏教以外にも数多くの宗教思想が存在し、『梵網経(ぼんもうきょう)』には仏教以外の思想が六十二も列挙されています。そのような中で、仏教の独自性や優位性を打ち出すことは、教団の運営上も必要なことだったのです。仏教僧団は信者からの布施で成り立っていたため、教団のブランディングは経典にもたびたび描かれています。
次回は、菩薩がどのような青年期を送られたかについてお話しします。
※この記事は以下の音声コンテンツをもとに作成されています。音声配信では、記事にはないアフタートークも収録されておりますので、ぜひお聴きください。


