皆さん、こんにちは。「かんどう和尚のはじめての仏教」へようこそ。 このサイトは、仏教初心者の方に向けて、やさしく・わかりやすく仏教の教えをお届けしています。
今回から、いよいよブッダの生涯についてお話ししていきたいと思いますが、その前に、まずは「ブッダの名前」について触れておきたいと思います。なぜ名前の話から始めるのかは、読み進めていただければわかるはずです。
伝承によれば、ブッダの本名は、パーリ語で「ゴータマ・シッダッタ」、サンスクリット語では「ガウタマ・シッダールタ」であったとされています。
パーリ語とは、インド南部やスリランカなど南伝仏教で用いられる言語で、向こうではお経もパーリ語で読まれます。もともとはインドの方言の一つだったとされ、ブッダご自身はその親戚にあたる「マガダ語」という方言を話されていたと推定されています。日本語で例えるなら、京ことばと大阪弁のような違いでしょうか。一方、サンスクリット語は古代インドにおける文語・公用語です。
私自身はパーリ語を少し学んだことがあるため、ここでは「ゴータマ・シッダッタ」の表記で進めたいと思います。
さて、「ゴー」とは何でしょうか。英語の “cow”(牛)を思い浮かべてください。実は「ゴー」も「牛」という意味なのです。インド・ヨーロッパ語族に属する言語は共通の語源を持つため、このような語彙の類似が見られます。「タマ」は「優れた」という意味です。
問題は「シッダッタ」です。これは「目的を達成した者」という意味ですが、実は古い経典には「ゴータマ」という姓しか登場せず、「シッダッタ」は後世になって付け加えられた可能性があると考えられています。あまりに理想的すぎる名前のため、創作の疑いもあるのです。
ちなみに、「ガウタマ(ゴータマ)」という姓は本来、バラモン階級のもので、クシャトリヤ(王族)には見られないといわれます。これにより、ブッダの先祖はバラモンから王族に養子に入ったのではないかという説もあります。
私たちが普段「ブッダ」と呼んでいるのは、もともと固有名詞ではなく、「目覚めた人」や「悟った人」を意味する普通名詞でした。しかし時代を経て、「ブッダ」といえばゴータマ・シッダッタを指すようになり、固有名詞化していったのです。
この「ブッダ」という語が中国に伝わった際、「佛(仏)」という漢字に「陀」があてられ、「佛陀(ぶつだ)」という表記が定着しました。初期には「浮屑」などの漢字も使われましたが、最終的には「佛陀」が定番となります。
著名な日本の言語学者・諸橋轍次は、「佛」という漢字は仏教伝来の際に新たに作られた文字であると考えています。「仏さま」と呼ばれるようになったのは、ここに由来します。
また、「お釈迦様」という呼び名も親しまれていますね。これはブッダがシャーキャ族の出身であることに由来し、「シャーキャ」に「釈迦」という漢字をあてたものです。「釈迦牟尼」の「牟尼」は、「聖者」を意味します。
ここまでで、よく知られているブッダの呼び名をご紹介しましたが、仏典を読むと、「如来」や「世尊」など、さらに多くの呼称が登場します。これらはまとめて「仏の十号」と呼ばれることもあります。
なぜこれほど多くの呼び名があるのかというと、それぞれがブッダの「あり方」や「働き」を表しているからです。たとえば、「先生」という呼び方は、「先に生まれ、人に教える者」という意味から来ています。
同じように、ブッダも様々な立場・役割を果たされた方です。あるときは、優れた医師が病に苦しむ人々に合った薬を与えるように教えを説かれたため、「大医王」と呼ばれました。また、世の中のあらゆることに通じていたため、「世間解」とも称されます。
このように見ていくと、多くの名前を持つこと自体が、その人物の徳の深さや偉大さを物語っているといえるでしょう。
実はこれからご紹介していく『仏伝』の序盤では、ブッダのことを「ブッダ」とも「釈迦」とも呼びません。では、何と呼ぶのかというと、「ボーディサッタ(菩薩)」と呼ばれます。
「ボーディ」は「悟り」、「サッタ」は「存在、生き物」という意味で、合わせて「悟りを求める者」という意味になります。つまり、まだ悟りを開いていない段階では「ブッダ」とは呼ばれないのです。
この「ボーディサッタ」は中国に伝わり、「菩薩」と漢訳されました。この辺りの用語が少し複雑なので、最初に名前の話をさせていただいた次第です。
次回からは、いよいよブッダの生涯を物語っていきます。
※この記事は以下の音声コンテンツをもとに作成されています。音声配信では、記事にはないアフタートークも収録されておりますので、ぜひお聴きください。

