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前回は、インドの身分制度として知られる「カースト」の起源とその仕組みについてお話ししました。このカースト制度は、現代においても様々な軋轢や社会問題を生んでいます。「なぜ、こんな制度が今でも残っているのか?」と不思議に思う方も多いのではないでしょうか。今回は、その問いにお答えしていきたいと思います。
理屈ではなく「身体に刻まれた感覚」
以前お話ししたように、カーストには「浄/不浄」の観念が深く関わっており、下位カーストの人々は“穢れ”とされ、上位カーストの人々は接触を避ける傾向があります。これを聞いて「おかしい」と思われた方も多いかもしれません。
ですが、これは頭で理解していても、身体に染みついた感覚として抜けにくいものといわれています。
たとえば私たちも、ご遺体に触れた手を洗わずにそのままにしておくのには抵抗がありますよね。実際には清潔かもしれませんが、それでも無意識に「触れたものは不浄」と感じてしまいます。このように、理屈ではなく「感覚」として刷り込まれた観念が、カースト制度を根強く支えているのです。
しかも、それが昨日今日の話ではありません。数千年にわたり続いてきた習慣であることが、その根深さを物語っています。
カーストは「人間が作ったものではない」?
もう一つ、カースト制度が廃れなかった理由に、「これは人間が作った制度ではない」とされてきた点が挙げられます。
歴史的に見れば、カーストは中央アジア方面からインドに侵入してきたアーリヤ人たちが、自分たちの支配体制を正当化するために作ったシステムです。しかし、それを正当化する理論として用いられたのが、アーリヤ人の聖典「ヴェーダ」です。
このヴェーダは、聖なる仙人=「聖仙(リシ)」たちが感得したとされる**天啓(神からの啓示)**であり、人間が作ったものではないと信じられてきました。
ヴェーダの宗教観と儀礼の意味
ヴェーダにおける宗教観は非常に素朴で、自然現象の神格化にその特徴があります。
たとえば、「火」は神格化され「アグニ」という神として崇拝されます。各家庭には火を祀る壇が設けられ、そこに供物を投げ入れる「ホーマ(護摩)」の儀式が行われます。日本の真言宗で行われる護摩行も、ここにルーツがあります。さらに、蝋燭の火を灯す仏教の習慣も、火を神聖視するアーリヤ人の信仰に由来するとされています。
また、「弁才天(弁財天)」として知られる神も、もとはインドの聖なる川「サラスヴァティー」が神格化されたものです。これが仏教を通じて日本に伝わったのです。
このように、儀礼を通じて神々を呼び寄せ、歌と供物でもてなすことで、神々の力を借りようとするのがヴェーダ的宗教の特徴です。この供物を捧げる儀礼は「プージャー」と呼ばれ、日本語でいう「供養」の語源でもあります。
儀礼を行えるのは選ばれた者だけ
ただし、こうした儀礼を誰もが行えるわけではありません。特定の家系に生まれ、専門的な教育と訓練を受けた神官のみがこれを執り行うことができます。
例えるなら、日本の歌舞伎で「市川團十郎家」だけに許された「にらみ」のようなものです。構図的にとてもよく似ています。
どれほどの権力を持つ者であっても、願いを神に届けるためには神官に儀式を依頼する必要があります。必然的に神官の地位は高まり、バラモン階級としてカーストの最上位に位置づけられるようになったのです。
カーストの神話的根拠:プルシャ神話
カースト制度を宗教的に正当化するため、ヴェーダの中でも最古の『リグ・ヴェーダ』には、次のような神話が記されています。
「万物の原初神“プルシャ”の体から、口からバラモン、腕からクシャトリヤ、腿からヴァイシャ、足からシュードラが生まれた」
このように、一つの神の身体から世界が生まれたという創世神話はインドでは多くのバリエーションがあります。日本にも「イザナギとイザナミが日本列島を生んだ」という神話がありますが、構図としてはよく似ています。
仏教の誕生へ
このような強固な宗教的・文化的根拠をもつカースト制度。しかし、今から約2500年前、その支配的な価値観に潮目の変化が訪れます。そして、それが仏教誕生の契機となるのです。
次回は、この2500年前のインドで何が起こったのか。社会・思想の両面から掘り下げていきたいと思います。
※この記事は以下の音声コンテンツをテキスト化しています。音声コンテンツでは、記事にはないアフタートークもありますので、ぜひお聴きください。

